もの忘れがひどいで済む話ではないだろうに

 昨日は、なんというか、父に病院に行くことを拒絶されたこともあって、私はなんかイマイチダウナーな日々だったように思える。父に関しては、夏休みということは認識しているのだろうか。元の職場である学校にしつこく電話をかけるような事は無かった・・・と思う。やや自信なさげに書くのは、私が昨日は、外出していたからであり、この間、もしかしたら電話攻勢を仕掛けていたかもしれない。ただし、私が帰ってきたときには、電話はかけておらず、珍しいこともあるのだと、やや拍子抜けした思いであった。

 いつになったら、父親を病院に連れて行けるのだろうか。もう半分以上あきらめているのだが、どこかでまだ、可能性を捨てきれない自分もいる。甚だ面倒くさい問題である。こうしたモヤモヤのせいなのか、父親が何度も同じことを聞いてくるたびに、「病院拒絶した分際で、何甘ったれたことを抜かしてんだ。少しはてめーで考えろボケ!」、心の中で罵ってしまう。

 ここからは、これまでの備忘録のようなものである。以前、6月に大喧嘩をしたという話をした。この喧嘩では、家を出ていく出ていかない等大騒ぎになったり、父が訳の分からない嘘をついたりする中で、本気で殺意やらなにやら自分の中におこるどす黒い感情の制御にほとほと苦労した覚えがある。この喧嘩以降2日間、私は父と全く喋らなかったが、何をきっかけにかよく覚えていないが少しずつ会話を始めたように思える。

 ただし、もはや、かっての親子関係には戻れない。どこかよそよそしい関係になってしまったように思える。父の記憶力自体はどんどん低下しているが、この時の喧嘩の記憶はどこかに残っているのであろう。私に対しては、心なしか、学校の話をする機会が減ったように思える。その代わり、母に話しかける比重が増えた気がする。