いよいよ始まる新学期

 昨日は、父の職場への「出勤」を元の同僚の方が、何とか電話をかけて、阻止してくれた。大変有難かった。これからもできる限り行ってくれるという。何というか申し訳ない気持ちではあるが、一人の認知症患者の介護には家族二人では絶対に難しいと思う。その意味では、社会が、個々の華族を取り巻く苦境をサポートするような仕組みがもっと精緻化される必要があると思う。

 職場行きを阻止された父は、その後、職場に電話をする、元の同僚の方に電話をする。そして、退職した同僚に電話をする。精力的な電話攻勢を実施する。私も久々に何というか頭に血が上り、「あなたは10数年前からずっと無職で今もずっと無職です」と言った。当然、父は怒るが、最近の父は自分が勝てないことがわかるのか、「ええそうです」、「そう思って頂いて結構」とぶっきら棒に肯定し、そして、私から逃げ出し、自分の部屋に逃げ出し引き籠るのである。この人間の見苦しい本性である。というか、人間だれしもこんなものなのだろうという思いもあるので、あまり責める気にもなれない。

 どうでも良い話ではあるが、宗教とか哲学もこうした人間のダメな部分を目の当たりにした衝撃からすこしずつ発展していったのではというのが私の推測である。本当にどうでもよい話ではあるが・・・。

 

 今日の朝もありがたいことに職場の元同僚の方から電話があり、父の職場行期は阻止された。今の所ではあるが、毎日の日課である部屋の掃き掃除を始めている。今日も電話攻勢をかけるのかと思うとうんざりするが、これが我が家の一日なのである。