色々気づかされたもの

 ここまで、中断ばかりしていたが100記事書いた。当初は、父の症状を記録するためのメモのようなものを意図していたが、いざ書いてみると、ほとんど、ストレス発散のためのツールに堕してしまった感は否めない。恐らく、これからも同じようなテンションで書き続けることになりそうである。

 昨日の父は、日曜日ということもあり、平穏な一日を過ごしていたような気がする。確かに、昔の同じ世代の同僚の方に相変わらずの迷惑電話をかけたりはしていたが、主な活動はそのくらいだったと思う。と書いていて、やっぱりそうではなかったことを書きながら思い出した。上記の同僚の方にかけるまでに、現役の方々の家に電話をかけまくっていた。相変わらず酷い行いではあるのだが、慣れとはひどいもので、このくらいならマシかな等と私自身思い始めている。というのもの、もっと酷いことはいくらでも起こりうるのであり、そうしたものに比べればということである。

 今日の父も、ほとんど同じ行動である。職場に電話をかけ、職場の同僚の方の自宅に電話をかけと言った感じである。私も段々うんざりしてきたため、うんざりした顔で、電話口の処をうろつき始めたら、父も、さすがに申し訳なさそうにして自分の部屋に引き籠った。

 父の認知症の発症から思ったことは、父は何もできないということである。正確には自分の仕事については申し分ない能力を発揮したであろうし、元々かなり器用な人間で、裁縫等も得意であり、家の掃除も良くする。しかし、それだけなのである。母が何かに苦慮していたとしても、文句を言うだけであり、あくまで上から目線で、なんというか、労りがあまりないのである。ボケてしまっているから、色々と配慮ができなくなっているともいえるし、脚が悪いから、動きたくないというのもあるのであろう。しかし、どうも、柔軟に他人の仕事をサポートするという発想がないのである。今にして思えば、ボケる前からそんな感じだったように思える。

 しかし、これは父に限ったことではなく、私にも跳ね返ってくることであり、父がボケたことで、私自身ようやく気づいたことである。情けない話ではあるが、私も父も「大きな子供」、「大きな赤ん坊」であることに改めて気づかされた。