なにができるか。

 新年最初のブログである。今年はできるだけ毎日書きたい。恐らく、父に関しては、 色々と変化があると思うし、書き留めておかねばならないと思う。

 昨日は、やはり日付や時間の感覚が無いのか、大晦日であることもよく分かっていないようだった。とはいえ、手帳を買う等といって渋谷?に買い物に行ったところを見ると、何らかの節目であることは、まだかろうじて理解していたようである。しかし、帰ってきてみると、手帳は売り切れで変えなかったとのことである。本当かどうかわからない。父は以前も渋谷に買い物に行ったことがあったがその時も、迷ってしまったらしく、お目当てのものが買えなかった経緯がある。再開発が進む渋谷は父にとってはかなりわかりづらい空間になってしまっているような気がする。恐らく東急デパート東横店が閉店したことも忘れてしまっていると思う。父にとってはもはや未知なる場所となっているのではないだろうか。

 あと、父は11日以降の予定(コロナで閉鎖されていたのが11日には再開するという設定)が気になるらしく、また、あちこちに電話をかけていたようである。私が自室にいる間にこそこそかけるのが悲しい・・・。また輪をかけて悲しくなるのが、自分からかけまくっていたのに、先方から電話があって、その電話を待っている、そして電話がかかってこないから自分はやむなく電話をかけるのだと平気で噓をつく。とにかく、自分が必要とされている、頼られているという自信が欲しくて仕方ないのだと思う。あるいは自分から仕事をしたいとせがんでいる姿がみっともないという意識がまだ残っているのかもしれない。

 高齢になっても働くことは、別に構わない。むしろ、元気があって良いとすら思うが、今、電話をかけている所はもはや父を必要としていない。このことは何度も言っては私と父の間で大喧嘩をしている。

 話は少しズレたが、父は昔の同僚に電話がつながったことで、少し落ち着きを示した。大体この方につながると不安が多少なりとも解消されるようである。

 本当にありがたいことである。父の認知症の発症で色々と学んだ。その一つがこうした人達の父への配慮である。本来であれば、大晦日に電話をかけてくるとか、迷惑千万な話であると思う。にもかかわらず対応して頂いたことは本当に感謝したいと思うし、自分も同じ立場になったら、同じような対応ができるようになりたいと思う。

 今年も迷惑を色々かけ続けるのであろうが、私自身がもっと勉強して何とか色々な人に懸って居る負担を軽減できるようになりたい。