遂に本年初挫折

 これまで、ブログを続けてきたのについに1月6日、挫折してしまった。理由は久しぶりの出勤で、上手く時間を使えなかったということに尽きる。職場でもいくらでも書く時間があったのに情けない話である。

 6日(金)の父の言動については、私が出勤していたこともあり、正直よくわからないが、母は特に何も言っていなかったことあり、問題は無かったのであろうと思う。いや恐らく、また電話攻勢をかけていたとは思うが、母も私、多少の電話攻勢では動じなくなってしまっている気がする。電話で襲撃を受けている方々には本当に申し訳ないと思うのだが、公でもしないと正気が保てなくなりつつある。エゴの塊なのは重々承知している。

 7日(土)の父の言動については、はっきり言って最悪である。父はお腹が痛いといってずっとトイレにこもっていた。ずっとというのは言い過ぎであるはあるが、一時間ぐらいこもっては出て、10分経つとまたトイレにこもるという一連の動作を繰り返していた。私や母が救急車を呼ぼうというと、ギャーギャーと怒りだし呼ばなくていいと言ってまた、トイレに籠る。トイレに籠っている間、こちらはトイレを使えずハッキリ言って迷惑なのである。再び、私は救急車を呼ぼうとするが、又ギャーギャー騒ぐ。遂に私もブチ切れて怒鳴り返して黙らせたが、結局救急車は呼ばなかった。しかし、この選択が正しかったのかは疑問である。これを書いているのが夜中の2時半であるが、今も父はトイレに入っていった。

 父は、食べ過ぎか食あたりと自己判断をしていた。最近は職場でどんぶりものばかり食べていたからとか、家でせんべいばかり食べていたからだとか。色々病院に行かない理由を次から次へ喋っていた。まず、職場でどんぶり云々というのは、この1カ月コロナで職場が閉鎖されていた(ことになっている)ことにより、あり得ないのである。むしろせんべい云々の方は今回の症状に関係しているかもしれない。

 父は、ボケる前は、せんべいをほとんど食べなかった。なぜなら、消化に悪いせいか、食べるとお腹を下していたのである。だから食べるとしても、ほんの一かけら食べるくらいであった。その一かけらでもおなかをくだすことがあった。ところが去年の四月の認知症発生後、そのせんべいをよく食べるのである。恐らく脳の異常と関係しているのではないだろうか。何らかの形で脳のリミッターが解除されて自分のキャパシティ以上に食べてしまって今回の事が引き起こされたのではないか?

 しかし、せんべいだの食あたりといったものが本当に今回の症状につながったのかはやはり疑問である。むしろ下痢を引き起こすものであるように思える。今回のようにトイレにこもっても便が出ないというのは、別の症状に起因するのではないだろうか。父もうっすらとは恐らく理解していると思う。恐らく、医者から症状を宣告されるのを極端に恐れている。この医者への恐怖心は認知症外来になかなか行こうとしない時とまるで同じである。だから食あたりだの食べ過ぎだのと次々勝手に言い訳を並べ続けて、正常性バイアス?のようなものを発動させてしまっているのだと思う。

 何度もこのブログで書いていることだが、父の医者から逃げる姿は本当にいつも幻滅させられる。認知症と日々格闘されている他の方のブログや体験を見る度にため息がでる。父は、現役時代は社会的にもそれなりの地位に就いた人間であり、立派なふるまいをしていた(と思う)。ところが今やこのざまである。責めるのは酷だというのも私はもちろん承知しているつもりだが、ついつい「隣の芝生は青く見える」ではないが、色々と愚痴をこぼしたくなるのである。

 トイレに行っては便がでず、また部屋に戻る。これを繰り返しているのであるが、11日からは職場が再開する(という設定である)。そろそろ職場襲撃病が発動してもおかしくない。しかしこの状況でまだ行こうするつもりなのであろうか。

 長くなってしまったが、ひとまず筆を置く。