なんか不気味である。こうも大人しく毎日を過ごしている父の姿を見ていると、後で何か起きるのではないかと疑ってしまうのである。強いて、何か特質すべきことを挙げるとすれば、前回のブログで書いた風呂に入らないということと、あとは薬を飲まないということであろう。後者について、父は本当によく薬を飲み忘れることが多くなった。なんというか、勝手に判断して、薬を飲むことを拒むという感じである。おそらく、日付とか含めた時間感覚が完全に麻痺してしまっていることが原因ではないかと思っている。私は、いつも薬を小分けにして、食卓に置いている。具体的には、「朝か昼の食後に飲む薬」と「夜の食後に飲む薬」、この2つのパックを作って、食卓に置いているのであるが、父の朝食と昼食がほとんど一体化していることと、夕方の4時半とか5時に「朝ごはん」兼「昼ごはん」を食べることが多いことが、父の中で混乱を引き起こしているのではないかと思っている。つまり、「朝か昼の食後」という薬の入ったパックに書かれている指示内容と今の食事を食べている時間が合わなくて混乱しているのではないかと思う。私か母が気がつけば、父に薬を飲むことを促すのであるが、そうでないと、平気で飲み忘れることが増えた。
以前にも書いたが、薬を飲まなければ、おそらく、脳溢血だか脳梗塞で死んでしまうらしい。だが、私は正直、もうどうでも良くなってきている。介護も三年目になると、なんというか色々なことをぶん投げてしまいたくなるのである。もし、そうした事態が起これば、それも運命なのではないかと思うようになってきた。コロナに自分も感染して、なんというか色々と自分の中の限界を嫌というほど見せつけられた感じである。ただし、逆に言えば、己を知ることもできたというか、自分の浮ついたものの見方が、少しだけ地に足のついたものになった気がする。コロナの思わぬ副産物と言えるのかもしれない。