昨日、夜遅くに入浴

 このブログを書く意欲が本当に乏しくなっている。当初は、父についての記録を残しておきたい、また、同じような苦労をされている人々に少しでも役に立つものを残したいという思いで始めたのだが、中々、日々の忙しさやら自分の老化?も相まって、中々、筆が進まない。

 昨日の父の様子を振り返ると、夜の11時半になって急に風呂に入ると言い出したことぐらいか。心底面倒くさかった。

なんか色々あって書かなかった。

 久しぶりにこのブログを更新する。色々あった。が、父に関しては特に何もなかったように思える。相変わらず、頓珍漢なことを言って、母や私を苛立たせ、呆れさせるだけである。なんか色々疲れた。昨日健康診断だったのだが、4.3キロ体重が落ちていた。1年で4キロなら普通じゃんと思われるかもしれないが、なんというか・・・ちゃんと運動したりダイエットした末に減量に成功したといかいうのではなくて、忙しすぎて、食事に気が回らなかっただけなのだ。なんというか、なんというか、やつれただけで脂肪は残っている感じである。それにこの体重の減少はここ2~3か月で生じたもので、やはりこの時期に生じた仕事や母の骨折に伴う作業量の増加が大きく影響していると思う。

 ・・・・・・もっとご苦労されている人がいるのはよくわかるし、理解できるのだが、やっぱり辛い。

手術してもねえ

先日、病院で父の前立腺肥大の手術を勧められた。手術して、レッグパックを外せば、

尿の漏れはなくなる・・・わけではないが、おしっこはスムーズに出るようになるとのこと。

 いや、おしっこは元々スムーズに出ている。問題は尿意がないことなのだ。いつの間にか失禁してしまうことが問題なのである。去年の1月はまさにこれに悩まされた。このことを医師に説明すると、イマイチ、良く分からない回答が返ってくる。筋トレを並行して行うことで、おしっこをコントロールできるようになると。いや、まず前提として、筋トレなんて、このボケた老人がするはずがないのである。それに仮に筋トレをしたとしても、尿意そのもの回復には何の意味もないのではないか。脳がイカれている父が筋トレをして、尿意を感じ取れるようになるというのが、私にはどうしても理解できないのだ。医師も医師で、脳や精神の問題もあるから、確かに私の行ったことも理解できるとは言い始めたが、ただし、「それでもやらないよりはやった方が・・・」というのである。

 私個人としては、手術は気が乗らない。成功すればしたで、おしっこはよくでるようにはなるが、尿意のコントロールはできず、家中あちこちに垂れ流すことになることが眼に見えている。紙おむつ生活をすると言うことになるが、我々の負担が激増するだけである。

 私もイマイチ医師に説明することができていない気がする。手術すれば、全てがバラ色になるという発想は良くないのである。

 

とにかく、色んなものを吐き出したい

 不快なこと、イヤなこと等々、色々と吐き出したいものである。日記とは本来そうした機能も持つものだと聞いていたが、イマイチ、このブログには吐き出しきれない。そうした部分が原因で、このブログがイマイチ続けられないように思える。

 とりあえず、当初のこのブログの主旨である父のことを書いてみると、昨日は、外出していたこともあり、よくわからない。なんか、父の事が最近どうでもよくなってきている。昨日の事を思い出してみると、私が帰ってきたとき、父は、レッグパックを止めている脚に巻くベルトを無くしたと騒いでいた。私も探してみたら、私の部屋に何故かあった。父によれば全然記憶にないとのことであるが、おそらく、私の部屋に私の洗濯物を置いた時に、なんかの拍子で足のベルトが外れたのではないと推測する。

 とりあえず、父に関してはそんな感じである。

 母についてだが、順調に回復しているとは思う。だが、こちらももう年である。何が起きてもおかしくないのである。過度な期待はしない。

 

何というか色んなことに期待をしてはいけない

確実にボケているとは思うが

 父は、確実にボケが進行しているとは思うが、だからといって、徘徊やら、我々の名前を忘れるといったところまではまだ行かない。本当に微妙なところにいる。あと何年こんな生活を続けるのだろうか。この男によって、私や母の健康は確実に蝕まれていると思う。一方、この男の生命力というのか、恐ろしさすら感じる。おそらく、腎臓系の疾患が何らかの形で父の体調を崩しているとは思われるが、それでもこの男は長生きする気がする。我々の命を削りながら・・・。

 

なんか疲れた。

 色々と疲れた。休めるやつが羨ましい。私は父と母の介護もしているのに職場のs事も休めない。「いや、これもおまえ自身の決断じゃん」と言われれば、ぐうの音も出ない。仰る通りである。だから、私は稼ぐことにした。何を言っているのかと言われるかもしれないが、言葉の通りである。仕事をして金を稼ぐことにした。

 一方、父はといえば、正直よく分からない。私が帰った時には、骨折で負傷中の母をこき使ってご飯を食べていた。もう怪物である。確かに母も良くはなっている。軽い買い物には出かけるようになった。でもね・・・。この怪物はもうそろそろ退治されるべきではないだろうかと思う次第である。

 

 

私が作る食い物がそんなに嫌なのか。

 件名の通りである。昨日は7時に帰ってきたが、帰った時には、父はすでにご飯を食べ終わっていた。体のまだ不自由な母に夕食を作らせたらしい。クソみたいな男である。

 父は、母が休んで、私が作るという現在の体制を異様に嫌っているように思える。とにかく、私が調理場に立つと異様にイラついているように思える。なぜだろうと考えたのだが、例えば、以前、私が、自分が作る父に提供する夕食を「豚の餌」と言ってからかったことが、もしかしたら深層心理か何かわからないが、ボケた父の心に影響を及ぼしたのかもしれない。あとは、敢て好意的な解釈をするのであれば、自分が何もできない事への良心の呵責のようなもがあり、それが、苛立ちに転化したとも、まあ、考えられる。

 あまり母を酷使したくはない。回復も遅くなるし、私としては患部に負担のかからない範囲で少しずつ、活動して欲しいのだ。

 あと、全然関係ないが、今日から母の好きな日刊紙を職場の近くで購入しようと思う。少しでも活字を読む習慣を取り戻して欲しいと思っている。