なんかうざい

 昨日、私は外出しており、帰宅時に母が買い物をしているのに遭遇した。なんか、ものすごく疲れているように見えた。商品の陳列棚に寄りかかっているようにも見えた。私は、なんか、見てはいけないものを見てしまった気がする。私は、まず、家の父の様子が心配になり、家に戻った。父は母の苦労も知らずに、ハハの帰りが遅いとギャーギャー文句を言っていた。父の様子にうんざりしたし、疲れている母を置いてきぼりにした良心の呵責にかられて、私はスーパーに言って母を迎えに行った。その途中で、ちょうど母がよたよたショッピングカートを引いて歩いているのに遭遇した。私が母のカートや荷物を背負った。母は足の裏にできものがあるらしく、歩くのがしんどそうだった。心底申し訳ない気分である。せめて私がいる時は、私に電話か何かで連絡すれば、途中まで迎えに行って、昨日のように荷物を持つぐらいの事はしたいと思った。

 私も日々の生活にブーブー文句ばかり言っているが、母の疲れっぷりを見たら、それぐらいの事はしなければと思った。

 一方、父であるが、なんというか、色々ダメだなと心底思った。私が、母が商品棚に寄りかかって立ち止まっていたことを話すと、父は、そんなことをしていたら、スーパーや近所の人から悪い評判が立つとかのたまわった。確かに言う通りではあるんだけど、なんかものすごく冷酷でよくそんなことが言えるなあと思った。この男の酷薄な一面というか、母に対する見下すような感覚というか、そうしたネガティブな考えが一挙に噴出した感じである。だから、私は父とは反対のことを言った。「いくら休んでもいいし、みっともないと思われてもいい、どうせ、あんた(父に対して)は引き籠っているのだし、今更体面なんか気にするような年でもないだろ」、「むしろ、頑張りすぎて、倒れて救急車に運ばれるぐらいなら、スーパーの休憩室でも何でも使ってゆっくり休みながら買い物をしてくれ」と言った。父は、私の機嫌が悪くなったのを察したのか、休んでもいいみたいなことを言いだした。

 なんというか、くそみたいな掌返しを見せられて、本当に嫌になった。

とにかく、私は母の方がなんか心配になりつつある。

走る男

 昨日、母が病院に行ってしまい、私と父が留守番をしていた。父は相変わらず、ボケっとテレビを見ていたりしていた。

 一つやらかしてしまったことがあり、それは、母が外出する直前に私と父に洗濯屋へ洗い物を出しておいて欲しいと頼まれていたのだが、洗濯屋が来た際、父はその洗い物を出さなかった。私は慌てて、父に注意を促したのだが、洗濯屋はすでに去ってしまった。慌てて父は外に飛び出し洗濯屋を追いかけた。久々の外出である。しかし、洗濯屋は車に乗り、父の追跡を振り切って行ってしまった。父は何年ぶりかわからないが走ったことになる。しかも短パンだったので足のレッグパックを露出したままである。

 なんというか、私も父の記憶力を見誤っていた。2時間前ぐらいに母からたのまれていたことを父はあっさり忘れてしまっていたのである。私は認知症の凄まじさを甘く見ていた。私が予め全ての作業を対応すべきだった。母の帰宅後私は謝罪した。父は・・・すっかり自分のこと等を棚に上げて、母の帰宅が遅いとギャーギャー怒っていた。これである。これがこの男の真骨頂であり、長生きの秘訣である。とにかく自分が悪い等ということは毛ほども感じない。いや感じたとしてもすぐに忘れる。これが長生きにとって重要なのである。

何の未来もない

 私も父も、もはや何の未来もない。未来もないというのはおかしい話で正確に言えば「バラ色の未来」はもはやないと言った方が適切であろう。私の方はさておき、父については、昨日、父は「これからどうして良いかわからない」と言っていた。何のことかを尋ねると、元の職場を退職し、これからどうすれば良いのか分からないとのことである。何を今更という感じだが、私は「退職後の人生設計とかそういうことは、職場から与えられるのではなくて、自分で考えるものだろう」と言ったら父は黙り込んでしまった。既に何度もこのブログで書いているが、この男は、何をしたいかということをまるで考えていなかった。自分の十年先・20年先の姿を考えることをまるでしてこなかった。だから、今更、そのボケた頭で考えても何も思いつくはずもないのである。元の職場から与えられるかもしれないと口をかけて待っているだけの哀れな老人である。

 私自身にも、もはや「バラ色の未来」等、訪れようはずもないのではあるが、少なくとも父と同じ轍は踏むまいとは思っている。

久しぶりである。

 なんか、バタバタしていて、久しぶりにブログに書く。父については、相変わらず、元の職場への執着というのだろうか、そんなものがまだ続いている。とはいっても、今の時期はまだ、大人しく、電話などをかける頻度もそれほど多くは無い気がする。とはいっても全くないわけではなく、面倒くさいことには変わりはない。

 昨日の父の様子については、特に特筆すべきことは無かったが、一つだけ問題があった。この一つの問題のせいで、私はなんかえらい疲れた。問題は、金曜日に出した資源ごみについてである。金曜日に出した資源ごみについて、何故か我が家のごみだけ回収されず、放置されていた。そして、放置されていたごみの中に、父は、自分が庭掃除で集めた木の葉っぱをぶち込んだのだ。

 私はなぜか回収されない資源ごみと、その資源ごみに庭のゴミをぶちこんだことに猛烈に腹が立ち、きちんと分別しない母を非難し、庭のゴミをぶち込んだ父を批判した。

 この時、父は自分はそんなことはしていないと言った。では、庭掃除で生じたごみはどこにあると糾弾すると黙ってしまった。父はその後も、お隣の人がやったとか、支離滅裂なことを言ったので、余計、私はブチ切れてしまい、物に当ったりした。私の剣幕に父も母も黙り込んでしまった。

 さすがに私もまずいと思い、一度そこから離れ、放置された資源ごみから木の葉等のごみをとりわける作業を行った。暑い日だったので、ゴミ袋の中の異臭に苦しみつつ、作業を行い。資源ごみと木の葉っぱ等のゴミをより分けることを終えた。木の葉っぱ等のゴミはその日のうちに回収が完了し、資源ごみは来週に再度出すことにした。

 私も何とか心を落ち着け、父や母とその後はなんとかコミュニケーションを図った。

ゴミを分別しながら、かっての自分はこんなことをしなかったなあとふと思ったりした。父や母に任せっぱなしだったと思う。今や、全く戦力外となった父のうんこやおしっこの処理に慣れると、不快であるとは思いつつも、手は動くものだと思ったし、今まで、父や母には申し訳ないと思った。とはいえ、もうこの家でまともに動けるのはもう自分しかいない。だからこそ安易にキレたりすれば、収拾がつかなくなってしまうのである。本当に気を付けなければいけない。

昨日はおとなしかったのか?

 昨日、私は外出していたので、日中の父の様子は正直な所わからない。母に聞くつもりだったが、私が疲れて寝落ちしてしまった。昨日の午前中の様子を見る限り、また、旅行に行くとか言い出して、ボストンバックがどこにあるかを私や母に尋ねたりしていた。朝の5時とか6時ぐらいだった気がする。おそらく、修学旅行の引率をしていた頃の記憶がよみがえってきたのだろう。もっとも、探すのが面倒くさくなったのか、よくわからないが、あっさり諦めて寝てしまった。そのくらいだろうか。あとは、私が出かける前に父はまだ寝ていたが、布団でゴロゴロ寝ながら、元の職場にある要らない書類を捨てに行かなければならないとぶつくさ言っていた。まあ、恐らく行ってはいないだろう。

 私が家に帰ってきたときは、母の作るご飯を食卓で待っていた。端から見る限りは落ち着いていたような気がする。

やっぱり電話が好き

 昨日、父はまた、あちこちに電話をかけていた。いつもはほとんど無視されて繋がらない(当たり前である)のだが、昨日はたまたまつながったところがあったようで、迷惑を顧みず、ダラダラと話し込んでいたようだ。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。しかし、私も母も止めても無駄であることはわかっており、父の為すがままに任せた。もう、我々の体力が続かないのである。とにかく、できることから、まず始めるつもりである。父の被害を受けた方々に対しては、土下座でも何でもするつもりである。何度も繰り返すが、限られた時間で私にできることをやるのみである。

 

このもどかしい気分は何だろうか。

昨日も外出しており、日中の父の様子はよくわからない。ただし、私が家に帰って来た時に、元の職場の日程表(2023年度のものではあるが)が食卓に置いてあったので、おそらく、元の職場の関係者に電話攻勢を仕掛けていたのだろう。父の行動は、電話をかけるか、テレビを見るか、ボロボロのつぎはぎの裁縫をするか、大体この3つである。何というか、分かりやすいのである。私は母にもこの分かりやすさを理解してほしいと思っている。そうすれば、父のことで苛立つことも減ってくると思う。もちろん完全に怒りが消えるわけではないが、負担の軽減ができるのであれば、私たちは認知症の患者の事をもっと単純化して共有できる形で情報を整理する方が良いのである。夕食も、はっきり言ってしまえば、昨日食べたものも覚えていない父に、何か工夫した料理を出す必要はないと思っている。若い世帯の人々はもっと冷凍食品や出来合いのものを工夫して食卓に出しているようだ。少なくとも私の同僚の家庭などはそうしている。母は馬鹿ではないが、何か根本的なところでそうした工夫が足りない気がする。

 父のことより、母のことを書いてしまったが、色々と問題が山積していることだけは確かである。