かいてるこっちも記憶が薄れがちである。

 色々あったせいか、5月~6月頃の父の行状について、あまりも思い出せない。父の認知症のことを色々書いていたが、自分ももしかしたらそうなのではないかと思い、うんざりする。一応、別の媒体に、毎日では無いもの定期的に記録自体は残しているので見返せばよいのだが、それもなんか面倒くさいというか、読み返してあんまり気持ちの良いものではないというのが正直な所である。

 

 認知症の人間を抱えると自分のやりたいことをあきらめなければならないのだろうか。ここ最近、認知症関連のネットの記事を読むと自分よりも若い人たち認知症の親の介護のために実家に戻るという話が多く、ため息がでる。自分もどうやら似たような状況であり、自然と父親に憎悪が向きがちである。また、世間や周囲への羨望や嫉妬が自分の中で湧き上がるのは否めない。

 

 他方で、父親の認知症のおかげというと変な話であるが、今まで、様々なことにびくびくしがちで消極的であった自分が、吹っ切れたというのか、大概の事に驚かなくなったような気がする。自分の中でしばしば湧き上がる父親への憎悪の感情を自覚した時の方がはるかに意気消沈するし、病院に行こうとしない父の情けない姿を見た方がよっぽど、ショックである。こうしたことに比べれば世の中の事は些細なことである。

 

 昨日も比較的平穏な日であったような気がする。相変わらず、学校に教科書を取りに行く等、世迷言を抜かしてはいるが、敢て行かせてしまうのも手なのかもしれない。事前に先方に連絡して、適当に相手させるというのは失礼の極みではあるが、一時間もすれば、大体満足して当初の予定も忘れて帰ってきてしまう。これで良いような気もする。

 

 それにしても、若宮正子さんはすごいな。今、私が一番尊敬する方である。82歳でアプリ開発、アップルや国連からもお声がかかる。上では色々と愚痴めいたことを書いているが、87歳で今もなお、現役でバリバリ仕事をしておられる氏の活躍を見ると、頭が下がる思いであり、自分もこうありたいと思うのである。