とにかく、一つずつこなす

 標題は、父の事ではなく、私の事である。とにかく、父の介護の事を考えると、自分の時間が、ともすれば足りなくなると思ってしまい、変に焦ってしまうのである。だから、世の中の同じような立場の方がどのように過ごされているのか、とても興味がある。

 一方、父であるが、昨日私が外出先から帰ってきた時には、呑気にテレビを見ていた。基本的には日曜日は、日本全国お休みであることはわかっているようで、大人しかった。オードリーの春日が出ているグルメ番組と言うか旅番組をダラダラ見ていた。おそらく、父はTVに出ている出演者を一人も把握していないと思う。父は出川哲郎はなぜか好きで、出川の旅番組はボケる前からよく見ていた。なんというか、どこに行っても人が出川の周りに集まるのを見て、本当に人気があるなあといつも感心していた。とはいえ、出川の番組が好きで見ていたとはいえ、基本的にテレビをダラダラ見るということはあまりしてこなかった人である。いや、見ていたかもしれないが、ダラダラと言う感じで、テレビを見ていた事は無かったと思う。だから、父のそうした姿は正直あまり、快く思えない部分がある・・・と思ったが、思い出してみると、父は定年退職してから、やっぱりやることが無く、自室のテレビで番組を見ていたかもしれないとふと思った。

 改めて、思ったのは、退職してからの父は一体何をしていたのだろうか。以前のブログにも書いたが、父は定年退職してから第2の人生をどう過ごすかということを何も考えていなかった人である。新しく仕事を探すわけでもなく、強いて言うのであれば家を建て替えたことぐらいだろうか。この時は、猛烈に頑張っていた。端から見ていても張り切っていた。しかし、それ以後、父の心を揺さぶるようなものはあったのだろうか。

 例えば、父は英語が良くできる人だった。その英語を駆使して、何かしたいとか考えなかったのだろうか。

 昨日も、夜中、それまで大人しかった父は、「今日は何日だ!」と急に呟き、試験問題を作らなければならないと母に訴え始めた。もう、毎度のことであるが、この時期、元の職場は試験期間であり、その事が頭をよぎったのだろう。というか、手元にある「2023年度」の日程を見て、そう思ったのだろう。 

 どこまでも未来から目をそらし、過去の自分を追い求める悲しい姿である。でも本人は「悲しい」等という思いはさらさらないのであろう。