俺が何かしたところで罪に・・・なるんだろうなあ。。。

 ここでこの男をぶん殴ったら、さぞかし気持ちいいんだろうなあ。そんな気持ちで父を眺めていた。自分の仕事がなかなか終わらず、苛立っていたこともあり、いきなり、夜に風呂に入ると言い始めたの目の当たりにして、思わずそんな思いがよぎった。本当に辛い。特に自分がアタフタしている時に、父が色々と何かを始め出すと、本当に辛い。自分では何もできない無力感と永遠に続くのではないかという絶望、かといって、父がいない世界を想像するとそれはそれでも逃しい気分になる。アンビバレンツな気持ちが錯綜して頭がおかしくなりそうである。

 これも自分のだらしない生き方が招いた結果なのだろうか。

徘徊老人

 昨日、何故か休日出勤となり、朝10時半頃、家をでたら、駅の方から歩いてくる父にに遭遇した。休日なのにコートを着て、割としっかりした格好していたので目立っており、遠目から一目で認識できた。そりゃ土曜日にサラリーマンはあんまり歩いていないし。私が声をかけると、父は本屋に行ってきたと答えた。そしてすたすたと家に向かって歩いて行った。父は嘘をついていた。明らかに元の職場に行ったのだと思う。私におこられることを恐れていたのであろう。なんというか、悲しい気分だった。潜在的に私を恐れていることが良く分かった。私は父が認知症を発症した時から、何度も怒鳴り合いの喧嘩をしていたから、潜在的に私に対する恐怖や怒りが刷り込まれていたのだろう。「悲しい気分」と上の方で書いたが、ちょっと違うかもしれない。もう少し何とかやり様があったかもしれないという後悔の気分の方が先にあったように思える。

 私も急いでいたため何も言わなかった。それにしても、私は朝から引きこもって仕事をしていたため、父がこっそり家を出ていることに気づかなかった。なんかガタガタ扉の開け閉めをしたり、ドライヤーの音が聞こえてはいたが、まさかコソコソと出ていくとは思わなった。上で書いた通り、父はボケてはいるが、自分がやっていることが家族から快く思われていないことはわかっているようである。

そういういえば、介護認定の結果だが、ことしも「2」だった。去年と変わらないと言事である。たしかに、少しずつ記憶力が衰えているのはわかるのだが、去年と著しく異なるかというとまた別の話である。去年は水からカテーテルを引き抜くとか、目に見えて狂暴な振る舞いがあり、その結果、入院までした。そうした行動は、前回の審査以降はあまり無かったかもしれない。ただ強いて言えば、昨日の徘徊のように動き回ることが多くなった点はもっとアピールしても良いかもしれない。無駄に元気なのだ。

 

 

入浴(前回3月25日)

 昨日は、外出していて、帰ってきたら、父が風呂に入ると言って、騒いでいた。なんというか、母が食事の準備を始める時に、毎回、風呂に入ると言い出すものだから、母も苛立ち、面倒くさいことになる。だから、私は帰宅早々、母からバトンタッチして父の風呂の世話をした。

 なんというか、自分の職場が色々とごたついており、なんか色々疲れている所に家に帰ると今度はこれである。最近の私は早く寝て、朝の2~3時に起きる生活をしている。色々とゴタゴタした状況の中で生じた習慣ではあるが、朝型の生活スタイルへのシフトは私にとっても理想だったので、いっそこの生活をこれからも続けていきたい。

旧くなる日程表

 父は去年度の職場の日程表を見ていた。そして、父にそんな去年度のものを見ていても意味が無いと私が言うと、父は、去年度の日程表の曜日の部分を全部手書きで今年度の曜日に書き換えていた。なんというか、エクセルの曜日や数字を一から手打ちで打ち直すような、そんな感じである。なんというか、PC音痴の私の姿を見ているようで、なんかこっぱずかしい気分だった。新しい2024年度の日程を取りに行かないとダメだというと、父は取りに行くという。しかし、父は果たして元の職場に行く体力があるのか分からない。最近の父は元気は元気なのだが、午後まで寝ていることが多い。結局行きそびれてしまうことが多い。父は新しい日程表を手に入れることができるのか。この日程表があると、父の行動が予測しやすいので、私個人としては手に入れて欲しいとは思う。もちろんあったらあったで元の職場に迷惑が掛かることは防げないのだけれども。

 とにかく、この慌ただしい中、なんとかせんといかん

色々と地獄の始まりなのか

 自分の事で恐縮ではあるが、自分の職場は、今の時期、人が色々と抜けて、ややこしいことになっている。この調子で行くと、父の事を心配している余裕などなくなるかもしれない。今のこの閑散期が本当に勝負である。

 一方、父はというと、私は外出していたので、日中の様子はいまいち把握してはいないが、今日は特に迷惑をかけるのでもなく、大人しく過ごしていたようである。

 

なんか、ずっと寝て居たような。あと件の教団の信者からご連絡

 昨日の父は、午後3時ぐらいまで寝ていたような気がする。疲れていたのだろうか。午後3時に起きて、午後5時に朝ご飯を食べる。あまりよろしくない生活サイクルである。あとは、お決まりの明日は元の職場に行くと意気込んでいたくらいだろうか。

 「行ったところで何もない」と、「もう定年退職しているのだから」と、私もいつもと同じようなことを言うと、父は、まだ荷物がいろいろと残っているので、捨てたり、片付けたりしなければならないと言ってきた。これも何度も繰り返される定番の返事である。ちょうど2年前の、2022年の3月、父の認知症を私や母が最初に確認する1か月前、同じことを言っていた。私達も何をいきなり言っているんだと戸惑っていたのを覚えている。その時は認知症だとは全く思っていなかった。やたらと元の職場に行くことを主張していたのが、なんか気持ち悪いなあぐらいの感覚だった。それ以来、この元の職場においてある荷物を片付けるという父の言葉、何度か出てきた。もう理由なんて何でいいのかなと思う。とにかく、父にとっては、元の職場に行く理由を探しているだけなのかもしれない。でも、おそらく、今の父は体力が無いので、おそらく、今日も行く事は無い気がする。だから、しつこく電話をするのではないかと予想する。

 あと、昨日ではなく一昨日、3月31日、件の教団の信者である父の妹から電話があった。内容はわからないが、ボケた父の頭ではよく分からかったようである。母から聞いたところによると、その妹も病気だということで連絡をして来たとのことである。毎度のことである。この妹は父がボケたことを恐らく知っている。そして、父の死を確認するために定期的に電話をしてくる。いかにも件の教団らしい立振舞である。もう、家族とか、血の繋がりとかを利用して金を巻き上げる唯の詐欺集団にすぎない。

何か昨日は本屋に行ったようだ

 昨日、父は珍しく駅前の本屋に行った。天気が良かったからなのか、よくわからないが。まあ、家に引き籠ってあちこち電話攻勢を仕掛けるよりははるかにましである。それに何か体を動かすと、睡眠が深くなるというか、睡眠の質が向上するように思える。

と思ったら、今、父が起きてきた。只今、夜中の3時37分。

あと、父については・・・明日というかこのブログを書いている今は4月1日なので、今日になるのだが、今日からは父が手元に持っている元の職場の日程表は使えなくなる。だから、恐らく今日、元の職場を襲撃する可能性がある。とにかくこれから数日、予断を許さない日々が続く。

 私は中々仕事が終わらない。これが終わったら、どこか美味しい料理を食べに行くことを決めた。今決めた。