誰の服?

 「この白いシャツは誰の服だ?」という父の声で目が覚めた。台風で荒れていた昨日からずっと騒いでいたが、今日もやっぱり騒いでいた。服のサイズはLサイズであり、該当者は私ぐらいである。しかし、私はいつも黒のシャツしか着ない。なぜなら、父のものと混同することを避けるためである。靴下なども動揺であり、認知症以前から、父のものと混同することを回避するために意識的に色を変えてきた。サイズでいえば、私だが、色でいえば、父である。結局誰のものかわからず仕舞いで、今も干しっぱなしである。面倒くさい話であるが、これは私のであると後で名乗り上げて、回収する予定である。

 今日や昨日の話ではなく、一昨日の話であるが、食事中、父がまた学校に行くなどと、言い始めたので、逐一矛盾を指摘しつつ、半ば嫌味に近い指摘をし続けると、父から「一つ安心して欲しいのは、一度退職した人を職場で再び雇うような事は無い」という趣旨の発言が出たことである。これは今までになかったことである。今までの何が何でも自分が授業に出るというみっともないまでの図々しさばかり目立つ父の発言とはえらい違いである。それではなぜ、今年の四月以降、職場に自分の時間割や授業について連絡していたんだ、矛盾ではないか?と言った趣旨の半ば嫌味を私が言うと、そんなこと言った覚えはない等と空とぼけた返答をした。したがって、来年以降も頼まれれば、授業をするが、そうでない限り教壇には立たないとも私に対して述べた。この「頼まれれば」という一語が本当にムカつく。本当に自分の事が理解できなくなってしまったのだなと思う。私も私でこんなことですぐイラつくようではダメなのも十分承知しているのであるが、モヤモヤが中々晴れない。

 あれだけ授業をしたかった父の身の上になにがあったのだろうか。また、夏休みが終われば、ギャーギャー授業が~時間割が~と騒ぐのだと思うが、一応、こんなことも述べてたということを記録しておく。