コロコロ変わる

 これを書いているのは2022年8月22日だが、22日分は別に書く予定である。あくまで21日の分として記述する。

 夏休みが終わりに近づき、父の動きが徐々に活発化してくる。どうでもよい電話が少しずつ増えているのがその証左であろう。日付としては昨日21日の夜10時半に元の職場の同僚の家に電話をかけている。内容はどうも、体調がすぐれず、もう少し休ませてくれというものである。電話を切った後、今後も体力的には難しいから仕事はしない旨をどう伝えていけばよいかなどと、さも自分が仕事をしないことを我々にアピールしている。だが、私は毎度のことであるが、こうした父の意見がコロコロ変わることを知っている。そして、どこか本心では仕事をしたくてしようがないことも知っている。つくづく哀れな人間である。

 ただし、仕事ができないと父が考えていることについて、全く嘘というわけではないとは思う。ここ最近のもの忘れのひどさはちょっとひどいものがあり、例えば、一昨日のことであるが、アイロンのコードが無いと騒ぎ始め、我々の前でギャーギャーとうるさい。私は、そのアイロンを眺めつつ、コードが巻取り式で内蔵されるタイプであることを気づきそのことを伝えると、騒ぎはパッと収まり、父は私達に謝罪した。

 私は、どっと疲れた。そして、いつもであれば、私は声を荒げ、私自身がギャーギャーと父を罵ったり、嫌味を言うのであるが、この日はもはやそんな気分にすらなれなかった。ただただ、「愕然とした」と呟いた。

 

 本当に疲れ気味なのである。その原因は、今話題の宗教関係の話である。突拍子もない話であるが、この件が微妙に我が家にも及んでくるかもしれないのである。 

 正直、詳細を書くのが怖く、どこまで書いてよいのか分からないのである。とりあえず、言っておきたいのは、このブログはできるだけ毎日更新していきたい。そして、もし、更新が長期にわたって途絶えたら、件の宗教関係の話が私の身に及んだということである。

 手元にある情報が乏しすぎて、何とも歯がゆいが、もう少し整理出来たら何がしか書ければと思う。それまでは、この話は一時ペンディングである。

 泣きっ面に蜂とはまさにこのことである。明日というか今日であるが、久しぶりに遠出というほどでもないが、午前中だけ外出する。仕事以外は家周辺しか出歩かないないため、少し気分転換を兼ねての行動である。