私自身のためのブログ

 このブログは父の言動を記録するためのものであるが、図らずも私自身の認知症予防のためのブログにもなっている。内容は基本的には昨日の父の言動とこのブログを作成する直前までの父の様子を記したものである。ところが、私自身、いざ昨日の父の様子を書こうとすると色々と思い出せないことがある。もしかしたら、私自身、認知症を発症しているのかもしれないと思うこともある。私としては、このブログは、私の認知症発症を私自身がいち早く気づくためのツールであると言える。

 ここまで、自分の事ばかり書いてきたが、改めて昨日の父の話に戻ると、昨日のブログにも書いたように、父に電話が朝からかかってきて、父にお世話になった方から御礼の食事に誘いに来るということで、父が色々と騒々しいかった。

 午後になって、恐らく昔の職場の同僚の方から電話があった。珍しいことである。もはや父に電話をかけてくるような人はほとんどいない。父は嬉しかったんだろう。しばらくその人と話していた。あいかわらず、自分は職場で仕事をしている等の話をしているが、恐らく先方も疑問に思ったというか、認知症であることは何となく察したのではないかと思う。それとも、事前に父の認知症については知っていて電話してくれたのか、そこらへんは定かではないが、なにはともわれ、父はその後も落ち着いて、得意の電話攻勢を仕掛けたりしなかった。

 改めて思うのは、人は誰かに頼られ、承認されることを欲する生き物であるということである。「人」等と主語を大きくしてしまうのは、軽率な気もするが、父の様子を見る限り何となく直観としては正しいと思っている。

 あと、やはり強い人間こそ、認知症になるのではないだろうか、と私は父の姿を見て思う。これはただの思いつきにすぎないが、考えてみたいテーマである