チューブを切りやがった!

 昨日は、何のために年休をとったのだろうか・・・今日になって、私は改めて振り返る。昨日は、年休をとって、外出をする予定であった。ちょうど出かける一時間前に事件が勃発した。父がうんこを漏らしたと言って、トイレに駆け込んだ。ここまではまだOKだったのだが、トイレに引き籠っている父が母にはさみを持ってきてくれと言った。これがまずかった。何と父は尿道からつながるチューブをはさみで切った。

 父に問いただしても自分は別のものを切った。チューブは切っていないとバカみたいに大声で弁明した。では何を切ったと問いただしても「わからない」と答えるだけだった。私はもう追及するのをやめた。どうせ追求しても学習しない、反省しない、もう半分人間を止めている存在なのだ。ここに時間を費やしても本当に意味が無い。次の手を考えなければならない。

 私は、外出するはず相手先に断りのメールを入れて、泌尿器科の病院に連絡して、代えのチューブはあるかと問うとストックはあるとのことで、急いで取りに行った。帰宅後、新しい装置に付け替えた。

 そして、チューブ切断事件で終わらない。今度は父が裁縫箱をひっくり返し、母と大喧嘩をした。これに関しては、いつまでも壊れた裁縫箱に沢山のものを入れている母も大概なのだが、父も不注意であり、細心の注意で扱うべきものだった・・・といっても認知症の人間に「細心」といっても無駄なのかもしれない。いや、認知症の人間と言っても、症状は様々であり、本当に努力して、細心の注意を払おうとしている人もいることは分かっている。いや分かっているからこそ、私は、父のふがいなさが悔しくて仕方ないのである。本当に学習をしない、反省を次につなげられないのだ。

 私は、散乱した裁縫箱を片付け、念のため、針等危ないものが無いか、注意しつつ、散乱した一帯に掃除機をかけた。どのみち、翌日、客が来訪することもあり、部屋の掃除をついでにすることができたのは、数少ない僥倖であったというべきか。

 兎に角、昨日とった年休の意味について考えさせられた一日だった。