昨日は、タイトル通り、介護保険申請の調査委員が我が家を訪れた。担当職員は一名、女性だった。事前に申請書には扱いずらい人間であることをお伝えしたから、その人の能力によるものか分からないが、父は特にいらだちもせず、対応に応じた。職員の方は、父をおだてて、気持ちよくさせつつ、質問に次々と答えさせた。日付、足が上がるか、ボードを見せて、これが何かわかるか、それまでどのような病気にかかったか、薬はどんなものを飲んでいるか、おトイレや入浴はできているか等である。正直、申請書を事前に提出しているが、その申請書に記載した記述よりも父の症状は回復している。それゆえ、職員の方も戸惑ってしまったのではないだろうか。一通り、終えた後、その職員と私が外で、話すことになった。父には色々聞かせてはまずいとの配慮だったのだろう。職員の方は、私に父の事について、本当はどうなのかを改めて聞いてきた。そして、先方が用意する。質問項目に私が答えて、全てが終了した。
正直、父は、思いのほか、元気であり、介護のランクとしてはそれほど高いものにはならないであろう。それでも、行政との繋がりを遅まきながらも作ることはできたことは取り敢えずよかったとすべきであろう。
問題は、母である。常々気になっていたのが、介護の事について、あまり勉強をしてない。イマイチわかっていないようである。私も、あまり詳細に説明したりしなかったこともあり、申し訳ないとは思ったのだが、あまりにも、色々なことが分かっていなささすぎる。忙しいし、高齢でもあるし、難しいことなのかもしれないが、介護は勉強である。勉強すればするほど、対象に対する苛立ちを全てではないが、抑制することができる。
介護は「知ること」というのは本当だと思う。
あいかわらず、父はチューブを何らかの形で外してしまい、おしっこまみれになっていたり、バカ丸出しではあるが、私は、もはやそれほど驚かない。なぜなら、勉強をしているし、既に行動はある程度予測の範囲のものであったからである。