誰の法事・・・かも分からなくなっている

 昨日は、私の祖母に当る人の13回忌の法事だった。母だけが行くことになり、私と父は留守番をしていた。本来であれば、全員で行くのが筋であろうが、父がこの様では、ということで、母だけが行くことになった。母はどうも定刻どおりに間に合わせるというとこができない。3時10分集合にもかかわらず、結局大幅に遅れて法事そのものには参加できなかったらしい。私は、母のこの感覚は、もはや習慣とかではなく、精神的な疾患ではないかと疑っている。美容院なんかもそうなのだが、とにかく、間に合わせようという気が無い。ヨーロッパの電車のダイヤよりも酷いと思っている。

 母と異なり、父は今はボケているが、その辺、ものすごくきっちりしていた。あと、父は、母の御仏前の封筒の字を書いてあげた。そう、字がとても綺麗なのだ。ボケているとはいえ、父は丁寧に書いてくれた。

 その父であるが、母が行こうとしている法事について、「誰の法事?」と私や母に尋ねた。おいおい、自分の妻の母親の法事だぞ?、それすら忘れたのかと問うと、その人に会ったことが無い等と言った。いよいよ、認知症も酷くなってきたというのを改めて実感した。そして、父は大して悪びれずに、「わからないものはわからない」と呟いていた。認知症の人間は、酷薄無情である。忘れるというか、もうなかったことにしてしまうのだと思う。以前にも書いたが、自分の今生きている状況との整合性を図るため、平気で無かったことにしてしまうのだ。本人に罪はないとはいえ、私はこの苛立ちをどこにぶつければよいのか、

 あと、昨日の法事ですっかり忘れてしまったが、昨日父はなぜかお漏らしをした。これは正直意味が分からない。なぜなら、父は尿道カテーテルを入れている。おしっこはそのカテーテルを伝って、レッグパックに溜まる仕組である。それなのにパンツが濡れているのである。カテーテルの外側にそって、おしっこがもれたということなのだろうか。今まではそんな事は無かった。今日、父が起きたら改めてチェックする予定である。