また、夜更かしですか。

 あいかわらず、夜更かしが酷く、母と喧嘩が絶えない状況が続く。私は、起きて、父に、うるさくて眠れないから起きたと告げると、申し訳ないと言って謝ってきた。兎に角、面倒くさい状況が続いている。筋力が低下しているのか、一度しゃがむと立ち上がれず、小さい脚立にすわったりすると、立てないからか、脚立に座りながら移動しようとしている。間の抜けた動きであり、ボケる前の父の姿からは想像もつかない姿だった。この筋力の低下については、尿道の問題に尽きる。これがあるから恥ずかしくて外に出られないのであろう。もっと小型のものは無いのだろうか。

 最近、自分が何をすればよいのか分からなくなってきている。世の中の介護に携わるすべての人を尊敬する。

なんか徹夜していたようだ。

 おととい、うんこを漏らし、昨日は、午後まで寝ていた。そのせいか、今日の朝、7時ぐらいまで起きていた。昨日の父は、口もからからに乾いており、何をしゃべっているのかさっぱりわからなかった。そして、おしっこを体外に排出するためのパックにたまるおしっこを最後まで出そうと、そのパックを解体しようとしたので、私がそれは解体できないと言うと、何故かトイレに籠り、ひたすら、パックを壊そうとしていた。注意する私を見る目は怯えと憎悪にあふれていたように思える。結局は私がいると、何時まで経っても父はトイレから出ないので、私は自室にこもり、そのまま、布団も引かず、椅子で寝てしまった。朝、6時に私が下りてくると上でも述べたように、起きていた。なんとか、父に自室で寝るよう促し、父も疲れたのか寝た。そして、起きたのが今日の午後1時すぎである。昨日のなにをしゃべっているのか、さっぱりわからない状況とは打って変わって、比較的明晰に言葉をしゃべっている。昨日の事はさっぱり覚えていないようだ。

 あと、私は、2月26日の救急車で運ばれた先の病院で付け替えられたカテーテルやチューブの扱いが解らず、どうすれば良いか当該病院に電話をした。そうしたら、父には後日病院に先生から説明があるとのことで、父に伝えたという。父に尋ねると、覚えていないとのことである。とにかく一度行く必要があるようだ。

 

 ちなみに今日は父の誕生日である。84才である。私には何の感慨もない。

 

うんこ処理班

昨日は、一昨日と打って変わって、父は大人しかった。なんか午後まで寝ている。

昨日の救急車騒動で疲れていたのだろうと勝手に思っていた。父の様子を一通り見て、父の寝室を去ろうと思ったとき、なんか異臭がした。

父にうんこをしたのではないかと問うと、していないと答える。私は父にお尻に手を当てて見てと言うと、父はやっと犯行を自供した。

私は、正直動じていなかった。極めて、メカニカルに父を浴槽に入れて、シャワーをお尻に当てて、お尻や足についたウンコを拭き取った。自分でもおかしなくらい冷静だったのが不思議だった。淡々と着替えやタオルを用意し、父にそうした着替えを着せて、椅子に座らせた。暖房を効かせた部屋であるにもかかわらず、寒い、寒いと言っていたのが気になったが、原因は分からずじまいだった。昨日は、本当に大人しく寝たようである。

しかし、気にになるのは、恐ろしく、憔悴しているのである。ギャーギャー救急車を呼んだり、私や母の言うことも聞かず、尿道の管を外そうとする時のあの元気が一切無くなってしまったのだ。何があったのだろうか。

今年で3度目の救急搬送・・・

 昨日、また、父が救急搬送された。私は仕事で午前中から外出していた。夕方7時に帰ると、母から、遅いと叱られてしまった。何があったか、私が問うと、何と救急車で運ばれたとのことである。おしっこが出ないと、父が自分でお得意の救急搬送の119番をかけてしまったらしい。今年ですでに3度目の救急搬送である。私がよく見てみる、おしっこを入れるパックが変わっていた。搬送先の病院で尿道についているカテーテル事付け替えたらしい。おしっこを入れるパックも今までのものと、違うものがついていた。もう訳が分からなかった。私には使い方が分からず、さらに問題なのは、風呂に入る時はどうするのか、あるいは、一時的におしっこを入れるパックを外して、止め栓をつけるといった事はできるのか、等何も分からないことである。父はもちろん、付き添いで行った母も聞いてこなかったらしい。

 私は、まず、この新しい器具について、搬送先の病院に問い合わせる。そして、かかりつけの泌尿器科に事情を話す。

 なんか、余計な作業ばかり増えている。

 ここ数日、父はやたら器具を外そうとする。おとといも、尿道についている管を外そうとしたり、実際に管からさらに伸びているチューブを外して、部屋のあちこちにおしっこをまき散らして、洗濯物が久しぶりに膨大になった。今回の救急騒動もこの流れで、恐らく自分で引っこ抜こうとして生じたものなのだろう。

 おとといの出来事で書いておくべきことがもう一つあった。それは母の失禁便である。おととい、母は病院に行ったのだが、どうやらその帰り道でうんこを漏らしてしまったらしい。母は下痢と便秘を繰り返していた。私は、今回の父の認知症の介護によるストレスもそうした下痢や便秘の原因なのではないかと思う。あと、考えられるのは、認知症にもしかしたら・・・という問題である。私としては、母については念のため、認知症外来のある病院に行ってもらいたいと思っている。もう父の時の失敗をくりかえいたくないのである。

 

 

 この地獄の日々はいつになったら終わるのだろうか。

 

なんかすぐ外す。

 今日も朝から大騒ぎ・・・朝の6時頃から、父がギャーギャー騒いでおり、何かと思って父のもとに来てみると、父がチューブを勝手に外してしまい、外した部分から、ちょろちょろとおしっこが漏れてしまっているのだ。なんですぐ外すんだろう。私は急いで、チューブをつけ直した。なんやかんや、色々説得して、今は寝ている。本当に騒々しい。母が午前中から病院に行くというのに、はた迷惑な話である。

 昨日は、私は外出していたので、その間の父の様子はあまり分からないが、母に聞いてみると、尿道の管を外せ、外せとうるさかったらしい。本当に申し訳ない。

 とにかく、尿道の管やそこから延びるチューブがイヤなのは痛いほどわかるが、そこは何とか頼むよという思いである。

 昨日も書いたが、頑迷に拒否するときは、少し間を開けるのが良い。押してダメなら引いて、という感じである。

 母には父の薬が無くなったのでもらってくるよう頼んである。また、自治体の介護保険申請の話も伝えてほしいと言っておいた。

 私も、なんやかんやで忙しく、自分の作業がほとんど手についていない。明日が本番だというのに大丈夫か?

危ね~

 危なかった・・・。これを書いているのが24日(金)7時24分。いま、父の尿道につけていた止め栓を外して、おしっこを出した。そして、元のチューブをつけ直した。

 昨日の18時から今日の7時まで、12時間以上、父はおしっこを出さなかったことになる。医者からは3~4時間おきに外して、おしっこを出してくれと言われていたのに、その3倍の時間、外せなかった。実は、私としては、昨日の夜の10時に外す予定だった。

父が昨日、チューブが煩わしいと言っていたので、私が止め栓を付けたらどうかと言ってつけたのが、ことの発端だった。ところが、いざ外すとなると、父が頑迷に外すのを拒否した。私も怒って寝てしまったが、ずっと不安で、結局今になって、外すことに取り掛かり、なんとか成功した。

 もし、つけっぱなしだったら、素人の見立てで恐縮ではあるが、腎臓やらなんやらに異常をきたすだけではなく、恐らくではあるが、膨れ上がった膀胱が他の背中の神経やらを刺激して脊柱管狭窄症の痛みを発症していたのではないだろうか。医者によれば、持病である脊柱管狭窄症と膀胱の肥大化は無関係ではないとのことであり、また1月19日の入院騒動を引き起こすところだった。

 もし、ボケていなければ、止め栓をつけて、3~4時間おきに外して、おしっこを排出するというやり方は理想的だったと思う。しかし、ボケている頭では、もう、この簡単な作業ですら、理解できなくなっており、活用は難しいと思う。

 一つ、無理やり収穫とするのであれば、たとえ、一時の怒りで、頑迷に否定したとしても、時間を空けてもう一度同じことを頼むとあっさりOKということがありうるということである。これは過去の記憶が抜けて行ってしまっていることにより生じるのであり、決して喜ばしいわけではないが、今後の介護で改めて考慮すべきことではあろう。

介護保険申請審査

 昨日は、タイトル通り、介護保険申請の調査委員が我が家を訪れた。担当職員は一名、女性だった。事前に申請書には扱いずらい人間であることをお伝えしたから、その人の能力によるものか分からないが、父は特にいらだちもせず、対応に応じた。職員の方は、父をおだてて、気持ちよくさせつつ、質問に次々と答えさせた。日付、足が上がるか、ボードを見せて、これが何かわかるか、それまでどのような病気にかかったか、薬はどんなものを飲んでいるか、おトイレや入浴はできているか等である。正直、申請書を事前に提出しているが、その申請書に記載した記述よりも父の症状は回復している。それゆえ、職員の方も戸惑ってしまったのではないだろうか。一通り、終えた後、その職員と私が外で、話すことになった。父には色々聞かせてはまずいとの配慮だったのだろう。職員の方は、私に父の事について、本当はどうなのかを改めて聞いてきた。そして、先方が用意する。質問項目に私が答えて、全てが終了した。

 正直、父は、思いのほか、元気であり、介護のランクとしてはそれほど高いものにはならないであろう。それでも、行政との繋がりを遅まきながらも作ることはできたことは取り敢えずよかったとすべきであろう。

 問題は、母である。常々気になっていたのが、介護の事について、あまり勉強をしてない。イマイチわかっていないようである。私も、あまり詳細に説明したりしなかったこともあり、申し訳ないとは思ったのだが、あまりにも、色々なことが分かっていなささすぎる。忙しいし、高齢でもあるし、難しいことなのかもしれないが、介護は勉強である。勉強すればするほど、対象に対する苛立ちを全てではないが、抑制することができる。

 介護は「知ること」というのは本当だと思う。

 あいかわらず、父はチューブを何らかの形で外してしまい、おしっこまみれになっていたり、バカ丸出しではあるが、私は、もはやそれほど驚かない。なぜなら、勉強をしているし、既に行動はある程度予測の範囲のものであったからである。