退院した後、私は父とともにそのまま父のかかりつけだった泌尿器科に向かった。やっぱり、大量のおしっこの件がどうしても気になった。脊柱管狭窄症の方については、入院先の病院が見てはくれたが、おしっこの方は、違う診療科ということで、完全スルーだった。それ故に、私としては泌尿器科で見てもらった方が良いと思い、そのままタクシーで父を連れてみてもらった。医師の見立てでは「尿閉」とのことである。なんでも、膀胱の機能がバカになり、尿意が感じられないまま、おしっこがどんどん膀胱にたまり、一定の量溜まると勝手に出てしまうというものである。父の陰茎に管が入り、尿を体外に排出し、輩出した尿を入れるパックを渡された。毎日、つけっぱなしで、パックの中の尿が溜まったら外に捨てるというものである。一週間したらもう一度来てくれ、尿意が感じられるようになったら、外せるというものであった。
この器具を付けてからの父は明らかに憔悴し、言語能力も歩行能力も著しく減退してしまったような気がする。歩くのもよろよろで我々の補助が無ければ歩けず、階段の昇り降りはハラハラしっぱなしである。失禁はなくなったが、パックにたまったおしっこは定期的に流すという日々が一週間続いた。この間、父は夜中に起き出したり、水を欲しい、暖房をつけてくれ、暖房の温度を下げてくれ、常夜灯を消してくれ(これはどうやっても無理)、等々、我々の睡眠を悉く削りにきた。夜はおそらく不安になるのかもしれないが、我々もこの間、疲弊して行った。
そして、昨日、1月27日(金)、再び父を連れて、泌尿器科に行った。今度は尿に入れた管から、生理食塩水を膀胱に流し込んで、尿意を感じるかをテストしたが、父は全く尿意を感じなかった。250CC ぐらいからやっと感じたようだったが、先生は、この管は外すことはできない、膀胱がバカになっていると結論付けた。つまり、一生、この管をつけ続けることを、我々は宣告された。私はショックだったが、父はあまり分かっていなかったように思える。他にも代替案を幾つか提示して頂いたが、父の居間の認知能力ではおよそ難しい物ばかりであった。一つ、父にとって有益だなと思ったのは、管に止めせんをつけて、2時間とか3時間おきに、止めせんを外してトイレでおしっこをすると言う案であった。これならば、おしっこ入れた袋とそこから延びる管を見せることなく、移動が可能である。とはいえ・・・父の認知能力では止めせんを無くしてしまいそうで不安である。正直暗澹たる気持ちで帰路に就いた。その日の父は夜中、私や母をやたら呼びつけた。暖房が聴いていない、おしっこを捨ててくれ、黒い鉄の棒を探してくれ(これに関しては何のことか意味が全く分からない)等々、私も母もブチ切れて、大喧嘩になった。そして疲労だけを残しながら、現在に至る。
職場への電話攻勢等の脅威を第1章とするなら、このおしっこの問題は新たに始まる第2章と言ったところである。これから入浴の問題が待ち構えている。父は8日間風呂に入っていない。どうやって入れるか。