管がいつ外れるのかを聞かれるのが一番つらいかも

 昨日は、一日、特に父の身に何か起こることもなく、淡々とした日常だったように思える。ただし、「淡々と」としたからと言って、穏やかな日常であったわけではない。

父は、尿道に付いたカテーテルをいつまでつけていなければならないのかと、私に何度も聞いてきた。私はそれに対して、わからない、医者にちゃんと聞け、今はそれをつけてリハビリをしなければならない、と何度も言う。恐らく父は全く納得していないし、はずしてくれと、結局、何度も私に懇願する。結局、私は、明日、医者に連絡してくれと言ってごまかすしかなかった。父は恐らく明日になれば、今日言った事も忘れてしまう。父の認知症の症状にすがるしかないのが自分でも情けないと思う。

 以前、私は、根本の部分のカテーテルを引き抜くことはできないが、そこから延びるチューブとおしっこを溜めるパックは適宜外すことができるということは何度も説明した。だが、父にこの方法を試すと今度はずしたがらなくなる。この方法の厄介な事路は、カテーテルから延びている部分に止め栓をつけることで、外におしっこが流れ出すのを止める代わりに、膀胱にどんどんおしっこがたまることにある。したがって、3~4時間ごとにおしっこを排出しなければならない。ところが、父は認知症であるため、これをいざやって、おしっこを出してくれと言っても、言うことを聞かないのだ。結局、12時間つけっぱなしでそのまま寝てしまった。なんとか、寝起きの頭が働いていない父を起こして、トイレに連れて行き、おしっこの排出に成功した。

 この苦い経験があるからこそ、止め栓の方法はできれば使いたくない。あと、最近思ったのは、無理に議論して説得するのでなく、少し、その場から離れるのが良いように思える。これも父の認知症の機能を逆手に取ったやり方であるが、父は長時間の思考がおそらく、あまりできなくなっており、疲労してしまうのだろう。このやりかただと、少なくとも、ダラダラこちらもダメージを負うことが少なくなるように思える。

 とりあえず、昨日は比較的早く寝たようだ。3月17日(金)、午前7時6分現在、まだ寝ている。