これを書きはじめたのが、1月7日の21時42分。このぐらいの時間にブログを書き始めると、昨日の事を思い出すのが、かなりきつい。私も確実に記憶力が低下しているのだろう。それでも、昨日、起きたことはよく覚えている。なぜなら、私と父の間で怒鳴り合いの喧嘩をしたからだ。喧嘩の理由は、父がかかりつけの病院に行くことを2年近く怠っていたからだ。私は、「病院の先生も心配しているから行った方が良い」と言ったが、父は職場の健康診断を年に2回受けて異常が無いと言われていると、妄想をすらすら述べた。私は診断結果を見せろと言っても、そんなものは貰っていないと平然と妄言を垂れる。
多分、本人は噓をついているつもりはないのだろう。病識の自覚が無いのが認知症なのであり、恐らく、当人は真剣なのだと思う。ただし、矛盾するのかもしれないが、その一方で、父は、病院に行くことを極端に恐れている。そのため、色々と行かない方便を探しているようにも思える。以前にも書いたが、病院に行けば診察や検査を受ける可能性があり、その結果、自分の体に異変や新たな病気が発覚することを極端に恐れているのではないかと推測する。例えば、一昨年あたり、認知症の検査に行こうと言ったら、父は、みっともない姿で逃げ出した。そして自室で布団をかぶっていた。それ以降、再三病院に行こうと言っても逃げ回るのである。まともに行くのは、泌尿器科ぐらいである。これも感染症ににかかり入院をする前は、頑強に抵抗したのである。それでも行くようになったのは、ボケた頭でも、あの感染症の恐怖が記憶に刻まれたということだろうか。
ただし、まあ、同情すべき点もあって、それは家とかかりつけの病院の距離である。このかかりつけの病院が家から一時間近く離れていることは、父にとっては苦痛だろうということは何となく予想できる。また、足にレッグパックをつけて通うのは不安なのだろうと思う。とはいえ、元の職場だって、40分ぐらいかかるのに、元の職場に行く時は、嬉々として家を飛び出していく。一方、病院になるとギャーギャー文句を言う。
正直、父の今後の事については、本当に迷っている。このまま、近所の病院に帰るべきか否か・・・2年近く考えているがまだ結論はでていない。
とにかく、昨日は、不毛な怒鳴り合いをしたあげく、父を説得することはできず、私は怒鳴り合いから逃げ出した。去年の私なら、父の元の職場に父の眼の前で電話して、父の言葉が虚言であることを父に直接突き付けたりしただろう。その時は、父は当然、一人でバカみたいに怒り出して、私を罵倒した。今の私は、同じことをするつもりはない。なぜなら、電話をかけた相手に御迷惑だからである。しょうもない親子の喧嘩に巻き込みたくないである。
父のことについては、私は近々かかりつけの病院に行くつもりである。そして今後の事について相談する予定である。
本当にしんどい毎日であるが、こんな私の苦労など、能登で被災した人やその家族の方に比べれば、ささいなものである。