昨日は、なんか慌ただしかった。一つは、本当にどうでも良いことなのだが、台所においてた、小さな人形がなくなってしまい、それをずっと探していた。幸いなことに、ソファーの下に転がっていたのを私が発見。無事回収した。人形自体、正月の小さな鏡モチのおまけについてくる干支にちなんだ人形である。現在、いぬ、いのしし、ねずみ、牛、虎、うさぎの6種類ゲットして、台所に鎮座している。私も良い年をして本当にバカバカしいと思いつつ、でも探さずにはおれなかった。幼稚だと言われればそれまでなのだが。
上記の騒動が午前中であるとすれば、午後の騒動は父のカテーテルからつながり、おしっこが入るパックからチューブが外れてしまった事である。原因はよくわからない。いつも、大体、父がやらかすのであるが、今回の件については本当によく分からない。しばらくは、毎日、定期的に私が確認する予定である。
父については、あとは・・・相変わらず、気が狂ったようにあちこちに電話をかけていた。父の中ではなんでも緊急事態らしいとのことである。しかし、父も84才、夜遅くまで電話攻勢を仕掛け続けるわけにもいかず、まもなく、沈黙、そして睡眠。
以前にも書いたが、認知症の人は夜になると不安に襲われるようである。だから、夕方から夜にかけて、猛烈に動きが加速する。父の話を聞けばバカみたいな内容ではあるのだが、父にとっては解決不可能の問題としてのしかかってくるようなのである。
認知症の人間は、自分の症状を自覚した時、もっと深刻に悩むものだと思っていた。
少なくとも、ドラマとかで出てくる認知症の人達はもっと自分の状況に絶望していたりと思う。ところが、父を見ていると、全然、そんなことはなく、平気で、あちこちに堂々と迷惑をかけまくっている。せいぜい、加齢による物忘れぐらいの認識なのである。「これは仕方ないこと」とわりきっているのである。このポジティブな態度は、見ていて、腹が立つし、正直、気味悪いというか不気味ですらある。確かに鬱々としているよりは良いのだが、なんというかとにかく不気味なのである。